旅日記        文・写真:西岡 隆文さん
トルコ・ギリシャの旅  
ヨーロッパとアジアの中間、南に中近東・アラブ諸国、北にロシアの大国とトルコはまさに歴史・地理
・文化の十字路である。またギリシャとはエーゲ海を内海とする、古代からの共通歴史がある。古代
ローマの文明も栄華を誇っていたのだろう。またギリシャは西欧文明の発祥の地でもある。今回は
遺跡を主とした旅に出かけました。
1.飛んでイスタンブール(2011年11/21・22・23)
 またもや韓国の飛行機で飛ぶ一人旅、12日間の現地ツアーを頼んだので、たった一人の自分の
 ために大きな車で空港からホテルまで送ってもらった。申し訳なく有難かった。
  翌日は早速見物である。まず
  香料市場、続いてボスポラス
  海峡クルーズて、異国情緒た
  っぷり。午後は両替と市内散
  策。圧巻はイスタンブール考
 古学博物館。ここにはトルコで
 最も貴重な発掘品が多数集め

日本の会社が建設した海峡大橋

海峡対岸のモスク

国立考古学博物館

トルコダンス
られている。この国の数千年にわ
たる、重厚な歴史の物語を見る
ことが出来る。夜はトルコダンス
観劇の電話予約をして近くの会場へ歩いて行く。かなり古い建物
である。ベリーダンスだけでなく、
各地に伝っている伝統的な踊り
もある。ダンサーは若く美しく官能的な踊りに酔う。翌日は市内見学、巨大なブルーモスク、アヤソフィア
聖堂など圧巻である。キリスト教の大聖堂を権力の交代によりイスラムモスクにしている。

巨大なブルーモスク

モスク出口にて

高さ50mの天井
2.古代遺跡エフェソス(11/24)
  満席の夜行バスに乗り合わせ
  古代遺跡の町エフェソスへ。
  エーゲ海沿いには無数の古
  代ギリシ・ローマ遺跡がある
  が、ここは中でも最大の規模
  で往 時の繁栄振りがよくわか
  る。クレオパトラも住んでいた

エフェソス遺跡

クレオパトラとシーザー登場
  とか、それにちなんで観光振興のためのショーもやっていた。どこの遺跡でも多大の労力を投入し発
  掘、保存、修復しており、海外からの支援もある。歴史の真実に光を当てることと同時に観光は重要な
  産業である。遺跡は石器時代の前歴史時代、ギリシャ、ヘレニズム時代、ローマ時代、ビザンチン
  時代と前後数千年にわたる。
3.綿の城、パムッカレ(11/25)
  パムッカレとは綿の城という意味で、ヒエロポリスという大きなローマの遺跡もある観光地である。
  斜面にはその名の由来となる石灰で覆われている広大な純白の石灰棚がある。石灰が多量の水で
  押し出され斜面に棚を形成したものである。面白いのはローマ遺跡の上に地震で湧き出た広大な温
  泉池である。池の底には古代ローマ建築の大きな柱がごろごろ横たわっており、湯の温度は35℃で
  、海水パンツに着替えて入ってみると快適である。池の端には地割れできた深い溝がある。

ヒエロポリス史跡

純白の石灰棚

遺跡の上の温水プール
4.エーゲ海リゾート、フェティエ(11/26)
  夜遅くバスターミナルに到着したが約束の出迎えが来ない。どうしたものかと思案していると親切な人
  がいろいろ教えてくれて、無料のシャトルバスサービスが利用できひとまず安心した。宿は海沿いの粋
  な「ヨットブティックホテル」で、朝食もビュッフェ式でなかなか良い。この町はエーゲ海に面した良港で
  大型ヨットが多数係留されている。このシーズンは旅行客が少なく、現地ツアーが出ない。
  仕方がないので、バスを見つけてオルディニュスという
  リゾート地を目指す。海岸に人の殆ど訪れないローマの劇場遺
  跡があり立ち寄る。頼みもしないのに説明をしてくれる地元のおじ
  さんがいる。観光客を捕まえてのお金の無心はわかっていたので
  説明を聞き、小銭をお渡して分かれた。地元の大きな魚市場で
  食堂のおじさんに魚料理の有無を尋ねると、隣で買って持って来
  いと言われ、小あじ0.5kgを150円で購入し、フライにしてもらい
  夕食としたが食べきれなかった。

ヨットハーバー

オルディニュスの海岸

訪れる人も少ない史跡

鯵のフライ
5.発展を遂げるアンタルヤ(11/27・28・29)
  田舎の町の深夜のバス停留所、バスの外はいやに賑やかである。大きなトルコ国旗を肩車に乗って
  振りかざして、村人総出で一人の若者を見送っていた。若者は直立し神妙である。バスが出るとその
  周りを友人が数台オートバイでクラクションを鳴らしながら追っかけをする。徴兵制度のあるこの国で若
  者はどうやら軍隊に入隊するらしい。昔の日本もこうだったのか。兵役が終わると一人前の男とみなさ
  れ結婚もできるとのこと。アンタルヤはトルコ3番目の都市で建築ラッシュである。
  この温暖なリゾート地にはヨーロッパ各地から観光客が押しよせ
  て来る。(欧州プロサッカーのキャンプ地としても有名です。サン
  フレッチェもここで合したことがある)宿で朝食時に店の主人が、
  友達とドイツ語で会話している。早速理由を聞いてみると、ドイツ
  生まれでベンツ社で働いていたとのこと。最近はドイツ移民が定
  年を迎え、お金を貯めて帰国する者も多く、暖かいこの土地に
  集中しているとか。ちなみにドイツには約300万人のトルコ系
  移民がいる。アンタルヤも2日間終日フリーである。

アンタルヤ

帰ってきたヘラクレス

ホテルの庭のオレンジ
まずはアンタルヤ博物館のペル
ゲ遺跡の出土品がすばらしい。
特別展示はニューヨークメトロポ
リタンから上半身を返還されたも
のを、保存していた下半身と合
体した、ヘラクレスの彫像。返還
したアメリカのことを褒めている
ような展示である。
知り合ったタクシーの運手は「欧米先進国はトルコの遺跡の宝物を
多数略奪しており、返還されるべきだ」と本気で怒っていた。言い分
も一理あるが学術的に光を当て遺跡の発掘・保存にも貢献したのは
先進国の研究者であり、難しい問題であろう。トルコの町はどこに行
っても大きな二本の塔を持つモスク(ジャミイ)がある。塔はメッカの
ほうを向いており一日5回塔に取り付けられたスピーカらか独特の節回しでコーランの読経が流れる。
なかなかの美声であり、音量はとにかくでかい。これで時計がなくても時刻がわかる。終日フリーであるが
現地のツアーは客が少なく催行されない。仕方なく割高のタクシーをチャーターするが、料金は1日で
70ユーロと、チップ5ユーロで日本人の感覚ではまあまあ安い。近郊のペルガ遺跡の案内を頼んだが、
観光客相手のタクシー運転手は英語も出来る。トルコ訛りと日本語訛りの英語で何とか通じる。トルコの
西側エーゲ海・地中海側にこんな大きな遺跡がたくさんあることは知らなかった。来てみると感心する
ことが多く、3000年( もっと古いのもある)の歴史の流れの一端を感じ取ることができて大変面白い。

アスペンドス遺跡

ペルゲの遺跡

案内のタクシー運転手
* 後編は次号に続く
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